たかの友梨は1948年に群馬県前橋市で生まれた。定時制高校に通いながら床屋に住み込みの見習いで入り理容師の技術を身につけ、高校を卒業と同時に上京している。そのころ、日本マクドナルドの社長・藤田田の『ユダヤの商法』を読み、その中の「商売やるなら女と口を狙え。男は商売にならない」というフレーズが自分をがらりと変えたという。「当時、MG5とかバイタリスとか男の整髪料が出始めていたんだけど、散髪でそれをつけると五十円高い。お客様におつけしますか、と聞くと、たいがいがいらないという。……女性をお客様にしてみると、一万円と三千円の化粧品でも、必ず一万円のほうを買っていく。これほど男と女は美に対する感覚が違う。やっぱり、女性を相手の仕事をしていくほうが絶対にいいと私は悟った」(『潮』1989年7月号)この人のアンテナは、経験に根ざし、しかもすばやく動く。これからは美容院の時代だと察し、24歳の時にはフランスへ渡り勉強も積んだ。しかし、帰国して美容院で身を立てようとしているところを、第一次石油ショックが襲った。たかのはこのころ、エステとはおよそ正反対のビジネスを始めている。当時の世相を知りたくて古い週刊誌をひっくり返していた私の目に入ってきたのは、膣の力を計って「名器」を作る機械―「膣圧計」をPRする姿だった。その当時「潮吹き」でマスコミの寵児になった窪園千枝子に「本当に『名器』かどうか、この機械で計ってみてよ」と議論をふっかけたりしている。この「膣圧計」は1個1万円で主婦相手に月50個も売れ、たかのは「お金をためるつもりで始めた仕事ですが、いつのまにか仕事で忙しくしているのが生きがいになってきたんです」と語っている。別の週刊誌では写真入りで「処女喪失」小説のモデルにもなっている。すでに理容や美容の技術を身につけたこの人が、なんでここまで突っ走ったのか……。
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