専門家は十三年間、「君津進学塾」を続けた後、集団指導の限界を感じて、昭和六十年に小中学生対象の塾「一橋家庭教師学院」をはじめた。「君津進学塾」は集団塾形式で教え、希望者には家庭教師派遣も行っていたが、「一橋家庭教師学院」という名称に改めてからは、教室で個別指導をはじめた。教室に生徒を集め、「家庭教師のように懇切丁寧に、個別指導する塾」がメインになった。もう大教室での授業は行わず、教室内をブースで仕切って個別指導する。当時、一社を除いて、個別指導らしい個別指導塾はなかった。個別指導塾はまさに時代の半歩先を行く、斬新な発想だった。専門家はダーウィンの進化論に言葉を借りて、「頭のいい者、強いものが生き残るのではない、変化に対応できる者だけが生き残れるのだ」と指摘する。個別指導を専門にすると、減りかけていた生徒がおもしろいように集まった。専門家が集団指導から個別指導に切り替えたのは、時代の趨勢でもあった。